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新之助貝新について

About us

桑名で作り上げた和食文化で、​毎日の食卓に特別なひとときを

桑名ならではの美味しさと、よろこびを食卓に届けたい。

そんな志しで、“志ぐれ煮”を作りつづけてきました。

和食を味わう時間は、本当の自分へ帰ることができる。

志ぐれで 、笑顔のつながりを生むことができる 。
新之助貝新は、そう信じています。

400年繋げてきた志しを、次の400年へ。

和食文化を世界に届けていきます。

はっきりとした年号はわかりませんが…
文献などを辿ると、1600年ごろには、すでにこの桑名の地で志ぐれ煮を
製造・販売していた記録があります。
伊勢の海で採れるはまぐりを煮込み、
お土産として持ち帰れるよう、製造販売したのがはじまりです。

この頃から、焼・煮はまぐりを生業としていた初代貝屋新之助は、
この煮はまぐりに「時雨蛤」の名をつけて看板をあげ、
そして「貝新」の屋号が生まれたそうです。

ちなみに、この「時雨蛤」という名前。
当時の松尾芭蕉の高弟の一人、各務支考の考案と言われています。
はまぐりの美味しい時期は11月ごろ。
俳句の季語・時雨(しぐれ)の時期と一致するため、
『時雨蛤(しぐれはまぐり)と命名してはどうか』と言われたのが始まりです。

当時では飛ぶ鳥を落とす勢いだった各務支考による命名。
今でいうコピーライターに商品名を付けてもらったようなもので、
これにより一気に「しぐれ」が有名になったのではないかと考えられています。

 

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SHIGURE since around 17th century

私たちの創業は、17世紀ごろ

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桑名の街

桑名の街は伊勢湾に面し、古くから東海道の宿場町として、栄えてきました。

伊勢神宮への入り口の街として、多くの旅人が桑名を訪れ、人と人との出会いが生み出され、それが様々なアイデアとなり桑名の町を形作っています。

伊勢湾には、木曽三川が流れ込み淡水と海水が程よく混じり、貝や海苔・白魚などが豊富に採れる場所でした。特に蛤は「浜の栗」と呼ばれるほど色合いや艶が良く、ふっくらとした大きな実で、古くから全国的に知られています。

​近年では、伊勢湾の海中環境も大きく変化し、蛤など二枚貝がなかなか採れなくなってしまい、海中の環境を回復させるベく、桑名の町全体で取り組みを開始しています。

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桑名駅前には、昭和の面影が多く残ります。

​古くから人と人の出会いを大切にする桑名ならではの懐かしい雰囲気です。

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桑名の街

KUWANA town

KUWANA town

桑名の街

桑名の伝統ある「寺町商店街」では、3と8のつく日(例えば13日など)に「三八市」が開かれます。多くの出店者が集まり、大きく賑わう桑名の名物の一つになっています。

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みたらし団子のソフトクリーム

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桑名の街

KUWANA town

KUWANA town

桑名の街

桑名は伊勢国の入り口。江戸と京都を結ぶ東海道の伊勢国の入り口にあたる道が今も残っています。

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